甘酒は冬のもの? 夏のもの?

 酒粕が見直されている中、甘酒も同じように注目されるようになりましたが、甘酒は夏のものでしょうか、冬のものでしょうか? ちょっと勉強してみました。

 私し個人的には甘酒は冬のものです。酒粕をお湯でといて砂糖やしょうがを加えたりして飲みます。この酒粕が夏にはないのも、冬のものと思い込んでいた理由でもあります。

 しかし、7月の暑い昼間、静岡市駿河区の萩錦さんにお邪魔した時に出された、麹をお湯でといただけの冷たい甘酒には、そのうまさに驚いて、お代りもしてしまいました。考えさせられた一杯でした。

 

奈良時代からみていきましょう。
  万葉集の山上憶良の貧窮問答歌に登場・・・・・冬のものでしょうか?

「風まじり 雨降る夜の雨まじり 雪降る夜は術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)を 取りつづしろひ 糟湯(かすゆ)酒 うちすすろいて 咳(しわぶ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)かきなでて 吾をおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾(ふすま) 引き被り 布肩衣 有りのことごと 着そへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒(こ)ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝(な)が夜は渡る。(以下略) かくばかり 術なきものか 世の中の道」
反歌 世間を厭しと恥しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

上質な酒を口にできたのは一部の貴族だけで、庶民は酒かすを湯で溶いた「粕湯(かすゆ)酒」を飲んでいた。

疑問点:室町時代まではもろみのまま個体として飲んでいたそうなのに、奈良時代には粕とでてくるのは、どういうことか?この時代は飲むと言うよりも食べていたようだが?

解釈:この場合の粕は今のしぼったあとの酒粕ではなく、上流社会の人のあまったお酒か、祭りの後のあまったお酒ではないかと思われる。粕は残り物ではないか。

 

江戸時代にも有名な話があります。
  守貞漫稿(もりさだまんこう)という書物。喜多川守貞という絵師が絵を書き、その説明によると、江戸京坂では夏になると甘酒売りが市中に出てくる。一杯四文也。
 嘉永とは1850年頃で安政の前の時代。当時の平均寿命は46才。日本人の平均身長も一番低かった時代で、平均寿命も短い。そして、夏に亡くなる方が多かったようだ。都市部では下水道も完備していないので、雑菌が繁殖して病気も流行する。質素な食事で体力も弱る。
 この頃には江戸には大きな地震が3回もあったから、それも生活に影響しているのでしよう。(安政元年の安政東海地震、安政南海地震と安政2年の江戸地震のことであります。前の2つの地震が起こったのは実は嘉永7年6月15日と11月4日、5日。新暦で言うと後の地震は1854年12月23日と24日となる。しかし、巨大地震が連続して発生し大きな被害を出したためかどうか、年号を安政と改めることとなった。そこで3つの地震はともに安政の地震と呼ばれることになった。)
 こんな地震があれば、生活は大変だったでしょう。冬は着物や毛布を包むば寒さはしのげるものの、夏の暑さはどうしよもなかったのではないでしょうか。

 暑気払いとして甘酒が流行した。・・・・・夏のものだな!

 この甘酒は原料が酒粕からとは限らず、麹とごはんをお湯につけて、しばらくして飲んだのではないか。ブドウ糖、ビタミンB1、B2、B6、パントテン酸、ビオチンのビタミン類も入った総合栄養剤である。

 「俳句歳時記」「季語事典」でも夏の季語となっています。

 

 甘酒のようなものは3種類あるが、みんな別物。

1. 酒粕をお湯でといたもの。・・・現代の一般的な甘酒。
2. 麹とごはんをお湯でといたもの。・・・昔ながらの甘酒。麹汁とも呼ぶ。
3. ひな祭りの白酒。・・・蒸したもち米とうるち米に米麹を加えて、焼酎の中で約三十日間熟成させ 、搾らずにすりつぶす。

 

 以上から推測すると、1.の酒粕から作ったのは冬向き。2.の麹汁は夏向き。3.は贅沢品でひな祭り用。ということになりそうだが、どうなんでしょうねえ。


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