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●君盃酒造(静岡県静岡市駿河区)2007年6月17日(日)14時〜17時 |
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梅雨の晴れ間、旧東海道沿いにあります君盃酒造さんを訪れました。この地は人々が行き来が多く、数々の人間模様がありました。戦いあり、美女あり、お酒あり。君盃は物語の現場で醸し出されるお酒でした。奥さまの手料理と親子で醸す親子酒を御堪能。やっぱり蔵元で飲むお酒が一番美味しいですよね。 |
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君盃酒造の市川さん親子にお世話になりました。お酒の造り方などの説明をしてもらい、お父さんと息子さんで造ったお酒と、奥様の手料理を堪能させてもらいました。 まさに君盃づくしの一日でした。君盃さん、ありがとうございました。順を追ってあの日に帰りましょう。 |
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米を蒸す和釜です。杜氏さんの後ろには、蒸したお米を強制的に冷やす放冷機があります。蒸している時には、この空間全体に湯気が立ち上り風情があります。 |
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釜を上から見たところです。 訪れたのが6月で、仕込はなく、すでにお酒は瓶詰めされて冷蔵庫にあるか、タンクの中にあり、製造の雰囲気は漂ってはいませんでした。 |
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お酒をしぼるところでは、質問も多数でてきました。確かに、もろみはどぶろくのようですから、想像はつきます。 そこからどのようにして清酒になるのか? 左のようにガラス繊維のフィルターの間を通って流れ落ちてきます。 冬に蔵元に呼んでもらえれば、しぼり出ているお酒も味わうことができるでしょう。 |
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しぼる機械の奥には洗米機がありました。気が付いた方は質問もされていました。市川さんの奥にステンレス製の機械があります。10キロごとに米を分けてざるに入れ、この機械の上に乗せて電気でぐるぐると回します。米同士がすりあい、二次精米の役目もしながら、研がれて洗われていくわけです。この洗米器は藤枝の青島酒造さんが考案して造られました。青島式洗米機と呼ばれています。おぼえてくださいね。 |
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分析室です。 その時々の糖化や醗酵の具合、つまりはもろみの健康状態を知るが為に分析を行ないます。 小さな隔離された部屋で、見つけるのが難しいくらいでしたね。レトロな素敵な雰囲気なので、上は白黒写真にしてみました。下はカラーです。 |
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およそ50分蔵内を見学し、席に戻りますと、奥様の手料理が用意されていました。 | |
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奥様もどんなお酒の詳しい方々がお見えになるのかと、内心は冷や冷やでつまみにも気をつかったそうです。奥様のお話も聞きたいところでした。 蔵元の食事はこのように蔵の製造敷地内が一番美味しくなります。何とも言えない空気が漂っていますね。神社やお寺にも通じる日本の伝統がしみ込んでいます。これを感じてもらいたい。しかもお酒ありでの状態で。 |
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学苑の担当者である片野さんの御発声により乾杯! |
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皆さんの顔も思わず、ほころんでいました。ここから参加したい、なんて言わないでね。 さしつ、されつつがいいですね。 親子でも普段は話さないことも、こうしたお酒の席では、話すことがあるのかもしれません。そういうことがあると、この講座の良さになりましょう。 |
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この日に提供されたお酒は 教材費との兼ね合いで、君盃さんにも奮発してもらっちゃいました。みなさんも規定の時間内で完飲されてよかったです。 この日のみなさんの笑顔をパチリと私のカメラがいただきました。思いでアルバムらしく紹介しました。 |
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君盃の市川誠司社長兼杜氏 |
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民話についても話しました。その中から1つ紹介します。藁科文化圏では有名で、似たような話がいくつもあるようです。 今でも日向に原坂という家がありますが、これは昔昔のことです。主人は忠兵衛と名乗り、とても美しい娘さんがいました。この娘は気立てもやさしい、前毛は三日月型、鼻筋通り、目はほっそりと、髪はカラスの濡れば色、顔は卵型で、身の丈はほっそり高く、それはそれは体形縦からも横からも実にスマートな藁科小町と呼ばれた美女であったそうです。 ところで、その頃、和田とい所に、それは見事な、朝日が昇る頃になると原坂の家まで影がさすという杉の大木があったとのことです。 いつのことからか、この娘のもとに、気品ある、美男の武士が通うようになりました。この武士は毎晩、毎夜娘のもとに、忍んで通ってくるのですが、いったいどこからやってくるのか、話そうとはしませんでした。娘はこの武士がどこからやってくるのか、知りたくてたまりません。ある夜の事、おばあさんが武士の帰り際に、袴のすそに麻糸を縫い付けました。そして、翌朝その麻糸を手繰っていきました。すると不思議なことに、糸は杉の大木の中に入っていたのです。驚いたのは忠兵衛。「娘は木の精に取り付かれた。このままでは命までも奪われてしまう。」村の人たちに相談しました。それで、この木を切り倒して、木の精を供養してやろうと考えました。 朝から晩まで村人たちが代わるがわる切っても、切り倒せないほどの太さです。翌日また切ることにしたのですが、朝になると、切葉がもとのようにくっついているのでした。切葉を燃やしながら七日七夜かかって、ようやく倒すことが出来ました。木は「キリキリキリクウイ」と大きな音を立てて切り倒れました。この時の倒れる音と、切った大木が杭のような形で残っていたので、この地を切杭と呼ぶようになりました。木の中には大きな穴が開いていて、村人が見ようとしたその時、大蛇が飛び出し、大蛇は山の中程にある池のだんという大きな池に逃げ込みました。 この大蛇にみこまれたならば、原坂の娘も仕方ないといい、木の精を供養するために、倒した大木で丸木舟を造り、その舟に因縁のついた娘を乗せて流すことになりました。すると池のだんの水が崩れ出て大水となり、娘の乗った舟が川に流れ出しました。舟は岩や石にぶつかり、娘が髪にさしていた櫛が落ち、その付近を「櫛毛峠」と呼び、肘が取れた場所を「ひじうち」と呼び、足がバラバラに取れて、今の坂ノ上の下流に流れ着き、ここを足原(あしんばら)と呼び、舟は安倍川と藁科川の合流点の大きな岩山にぶつかり、ついに沈んでしまいました。この岩山を舟山と呼んでいます。舟山の下流に手が流れ着き、ここを手越と呼ぶようになりました。 この話は大蛇が美女をみこんだ話。美人の出た家では今でも麻で服を作らないことが言い伝えとして残っているそうです。いまでも木魂明神社(こだまじんじゃ)では春秋2回お祭が行なわれていますし、舟山にも神社を祭りました。 おわり。 この話しは次の方々からの伝えを総合して書き記しました。 |